Kota日記

毎日のことを淡々と書いていく。20年後に見返すと面白いものでありますように

配慮の話を、権利の問題と捉える

朝 パン、サラダ

昼 サンドイッチ

夜 ローストビーフ丼

 

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考えることの多い文章だ。

これまで自由に使えていた言葉が制限されると、自分たちが不自由になったと感じる人がいる。ジェンダー平等が繰り返し叫ばれる社会の中で、とりわけ男性はそう感じる機会が多いはず。その時、真っ先に、「これは、これまでもダメだったやつではないか」と考えなければいけない。そう考えないと、なぜかギリギリを目指してしまう。ギリギリを目指して、これもダメですと言われると、不自由な世の中だと世の中のせいにする。

「なぜかギリギリを目指してしまう」のはなぜだろう?きっと、それは、失った陣地をギリギリまで減らしたいと思うからだろう。つまり、権利を主張しているのだと思う。

配慮や思いやりに関するトピックを、権利の問題と捉える人は確かにいる。僕の中にもいる。困ったものだ。